違和感・嫌悪感

誰かの言動や振る舞いややり方を見ていて、強烈な違和感や嫌悪感を覚えるとき、「こんなことを思ってはいけない」と蓋をすると、嫌なものが自分の内側に溜まってしまう。

溜まっているとだんだん機嫌が悪くなっていく。自分まで嫌になる。人生がつらくなる。

そうではなく。

いったん、すごく嫌だなという感情を味わうのがいい。

しばらくは不快だけれど、じっと我慢してみる。そして「何が私にそのような感情を抱かせているのか」とその「不快」に問いかけていく。

そうすると、誰かの言動や振る舞いややり方を冷静に説明できるようになってくる。それは何をしているのか、そしてそこに(勝手に)自分の解釈を加える。

言葉にしてみると、「私はそういうやり方はしない、そうはありたくない」という思いが湧いてくる。

「じゃあどうしたいのか、どうありたいのか」も次に出てくる。

問いだけが立って、答えはすぐに見つからないことが多い。しかし少なくとも、「自分なりの何かを探しているのだ」と自覚ができる。

 

その思いをなんとなく持ったまま日常を過ごしていると、あるとき突然にヒントに出会う。ゴロッと動くこともあるが、だいたいは小さいヒントに遭遇するようなことだ。そこから少しずつひらけていく。自分らしく生きるというのは、こういう地道な作業の積み重ねだったんだと思い出す。

 

これを書いているのは、今またそのような感覚に陥ったからだ。誰かの言動や振る舞いややり方を見ていて、突然、嫌悪感に襲われた。

毎回上記のプロセスを辿っているはずなのだが、すっかり忘れて、毎回とても嫌な気持ちになるのはなぜだろう。

協調性を重視する環境で生きてくると、自分とは違うことをする人や、自分の好みでないやり方を見たときに嫌悪感が生まれるのは、ある程度仕方のないことだとも思う。人間の性質なのだと思うと、気が楽になる。自分と仲良くしながら、よい道を探りたい。

自分だけの何かが見つかったとき、とてもうれしい、爆発的な喜びを覚える、あの瞬間のことも知っているから、ちょっと堪えて、不快を見つめてみる。

誰かへの説教ではなく、自分の日々のお稽古の記録として。

子どもと歌

最近、子どもの頃に覚えたテレビ番組のテーマソングが、ふと口をついて出てくるときに、その歌詞がわりと教育的な要素を含んでいるのに気づいてゾッとすることがある。

もちろん子どもの私はそれを是と判断して歌っていたわけではなない。そんな複雑なことではない。ただメロディにのった音として、私の中に深く刻まれてしまっているのだ。

ましてその背景にある大人の意図……指導的、権威的なものから無意識の社会通念に至るまで……なんて全く関係ない。良きものと信念を持った人から渡されるならなおさら、子どもは素直に反応して、スポンジのように取り込んでしまう。

ジャワの老人たちが、今も歌えるといって「君が代」や「海行かば」をスラスラと歌うのをドキュメンタリー映画で観たときに、なんとも言えない気持ちになったことも思い出した。

 

歌や音楽、芸術はその力を利用される。

人が見出した力が、人によって、さまざまに。


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ミモザ

友達にミモザの大ぶりの枝をもらった。

 

抱えて歩いていたら、「なんていうお花ですか?」「ミモザ、きれいねぇ」と声をかけられる。

下を向いていた人も、「わぁ」という表情になる。

 

そうか、今だけは、私には確かにできることがあるんだ。

ミモザで世界を照らしながら家路についた。


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読むことと書くこと

私の父は研究者だ。

今も現役で研究を続けている。

 

読むことと書くことができれば生きていける

と、私たちきょうだいが小さい頃はよく言っていた。

 

生きていける

というのは、生計を立てられるということだったかもしれないし、希望を持って生きられるということだったかもしれない。

 

渡されたものを一番しっかりと受け取ってしまったのが私かも。


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一人双六

案件が重なってるときの自営業って一人双六やってるみたい。

一人でサイコロ降って、一人で駒進めて。

先が見えへん双六。あがったらなんかいい気分になることだけはわかってる。

 

駒いくつか持ってて、それぞれが一つの案件とか制作。サイコロ降って毎日一巡すんねんけど、目1つしか出えへん駒と、目6つ出て状況が変わる駒とある。

負担としては目1つはサクッとできるけど、目6つはけっこうがんばらなあかん局面やったり。目1つでもけっこうでかいお宝ゲットできたり。

進むだけじゃなくて戻る駒もあったり。

一回休みの駒もあって、動かせへん案件もある。

 

そう考えると、とりあえずきょうもサイコロ振っとこうかと思う。何につながるかはわからへんけど、どの駒も少しずつ動かしとこかっていう気持ちになる。

 


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越えるとき

憧れることは成長のために重要なステップだが、いつまでもその庇護下にいることはできない。

どこかで越えてしまう時点がくる。

必ず違和感が芽生える。

それを無視しない。

 

そこから新しい関係がはじまる。

互いに時々刻々と変化する生物である。

そのことを歓迎する。

 

無視したときに執着と囚われがはじまる。

互いは自由な生命体である。

そのことを祝福する。

 


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自転車

最近充電しても減るスピードが早いなと思っていた電動アシスト自転車のバッテリーが、ついに寿命を迎えた。

交換するかと値段を調べてみたら、自転車まるごと買い換えるときの3分の1ぐらいした。そうか、電動アシスト自転車って原付バイクか?ってくらいの値段するけど(なんなら電動アシスト自転車のほうが高いかも)バッテリーが高いんだな。ということが分かった。

 

とりあえず自転車屋さんに持っていって相談した。相談というか、気持ちを聴いてもらったのに近い。

ゆっくり考えてもいいかもと言われたけど、移動の大事な「足」なので、日々の不便さを思うと、考えてる余裕もあまりない。年末年始を挟むと伸びるしな。結局、バッテリー交換と、電源を入れるスイッチが壊れていたのでこれも交換してもらうことにした。

 

子が大きくなったので子乗せ部分を取ったのが始まり。その後、タイヤを換えて、サドルを換えて、ハンドルを換えて、ブレーキワイヤーを換えて、スイッチを換えて、極めつけにバッテリーを換えて……。

直して直して約10年、大事に乗っている。たしか子が2歳のときに買ったから、そんなもんだ。買い替えてもいいんだけど、ギリギリ部品もあるようだし、安全に乗れているうちはまだ粘りたい。

 

きのう修理してもらって、また乗れるようになった。スイスイ走る、爽快感。これこれ。自分の身体の延長と考えると、しっくりきているものをなるべく長く使いたい。

自転車屋さんが「気に入って大事に乗っておられるんですね!」と分かってくださるのがなによりうれしかった。


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千駄木マドさんの前の愛車